原点、四国ツーリング 5日目/6日目

勤労感謝の日で祝日の11月23日、旅は5日目を迎える。
いよいよ旅も終盤だ。

今日も快晴で、朝こそ多少は涼しいが、それでも十分に暖かかった。

フリースだけを羽織り、オープンで宇和島駅を出発する。

今日は大好きなR378と佐田岬半島が待っている。

R56を少し走り、r271からR378に入る。
目の前には法花津湾が広がり、豊後水道の旅が始まるのだ。

この日は11月23日。
10月下旬から11月下旬にかけて、温州みかんの早生が収穫期にあるのだそう。
まさに絶賛収穫期にあるようで、みかんを満載にした軽トラが走っていたり、みかん畑にはオレンジ色の果実がたくさんなっていた。

図らずも、どうやらR378を走るには最高のシーズンに来たのかもしれない。

宇和海を望むスポットで停車し、エンジンを停めた。
宇和海の先に見えるのは手前が大良(おおら)半島、奥が三浦半島だろうか。

愛媛県の南予地方は入り組んだリアス式の海岸が広がっている。
日本一長い半島こと佐田岬半島は有名だが、それ以外にも細く伸びた半島が多い。
それが海運においては大きな迂回をしなければならず、海況によっては危険も伴う。
そこで、半島には小さな運河がいくつもあるのもこの地域の特徴だ。
最も古い大良半島にある奥南(おくな)運河は江戸時代につくられており、参勤交代に遠回りしないで良いようにするのが目的だったのだとか。

みかんの段々畑を眺めながら、R378を進む。

R378は小さな街を過ぎては標高を上げてみかん畑の中を進み、また少し走ると小さな街に出会う。その繰り返しだ。
それが素敵な旅をしているようで、とても幸せな気分になれる。

JAの前を通過したら、柑橘の良い香りが車内に漂ってきた。
やっぱり、R378を走るには最高のシーズンに来たようだ。

R378も他の四国の道と同様に、離合に苦労する区間も残されているので、そのつもりで走る必要がある。写真は2車線区間ばかりだが。
それでも、8年前に来た時よりもかなり改良が進んだのか、以前走った時とはだいぶ印象が異なり、随分と走りやすい道になっていた。
実際に、拡幅工事中の区間も散見された。

前半は左に豊後水道、右にみかん畑を眺めつつ進み、後半は少し山中に入り高所を1.5車線幅でタイトにトレースしていく。

改めて走ってみても、R378の旅は素晴らしかった。
自分が思い描く愛媛の風景が、そのままそこに広がっている。

三瓶町までR378を走り、ここからはr26で八幡浜に向かう。

r26はR378とは打って変わって全線2車線の主要道路。交通量もそこそこだ。

八幡浜市街の道は、少しばかり混雑していた。

ちょうどお昼時を迎えたので、八幡浜港の「みなとオアシス 八幡浜みなっと」という道の駅に立ち寄った。

…のだが、祝日効果なのか駐車場は満車で、並んでいる車もいる状態だった…。
仕方がないので諦めて走り出したら、たまたま”市営駐車場”の文字を発見し、北浜駐車場へと車を入れた。ここはガラガラだった。

そこから歩いて道の駅へ。

せっかくなので八幡浜ちゃんぽんを食べようと思っていたのだが、ちょうどお昼時で食堂はどこも大混雑。

芝生広場ではフィットネスをやっていたりと、静かでのんびりとしたR378の旅から、一気に休日感あふれる賑わいを感じることとなった。

背景にはみかん畑。ここまで説得力を感じながらみかんジュースを飲むシチュエーションもなかなか無いだろう。

仕方がないので昼食は諦め、お土産に早生みかんを袋で購入。

それと、みかんジュースを飲もうと思い眺めてみるも、様々な品種やブランド、そして甘さや酸っぱさなどの説明がまるでワインラベルのように書かれていて無数に並んでいる。
僕にとってみかんはみかんだし、みかんもミカンも蜜柑も同じ認識なのだが、今になって種類が違うと言われてもただただ混乱してしまう。
ワインはメニューの中から2番目に安いものを頼んでおけば大抵失敗しないのだが、みかんジュースに関しては全くアテがないまま、「愛媛・八幡浜」の文字を見て購入した。

人気(ひとけ)の無い海沿いのベンチまで歩き、みかん畑を眺めながらみかんジュースを飲んだ。
文句なしに美味しいのだが、次からみかんジュースを選ぶときは何を基準に選べば良いのだろうか?
答えが出ないまま、気づいた頃には空き瓶が手元にあった。

八幡浜ちゃんぽんを食べようかとGoogleマップを眺めていたが、他の店が空いている保証もないので潔く昼食は諦め、佐田岬半島へと向かうことにした。
どうやら、昼食は逃してしまう運命にあるらしい。

R378からR197へと繋ぎ、いよいよ佐田岬半島に入る。

佐田岬半島を貫くR197は、別名佐田岬メロディーラインとも呼ばれる信号も無い2車線の快走路である。
とはいえ、さすがに祝日ともあればそれなりに車が走っており、貸し切りとはいかなかった。
それでも、風が抜ける佐田岬半島の尾根を走るこの道はとても気持ちが良い。

佐田岬半島は約40kmの長さを誇る日本一長い半島として知られているが、年間を通じて平均風速が高いこともあり、58基ほどの風力発電が設置されている。
伊方町といえば佐田岬半島には伊方原子力発電所もあるが、風力発電所も計6ヶ所ある。

その景色を眺めに、せと風の丘パークを訪れた。

すぐ近くまで車で行くことのできる、都合の良い展望所である。

訪れたときは若いカップルが構図を確認しながら自分たちの写真を一生懸命撮っていた。
僕の写真には自分も含めて人間が映り込むことはほとんど無いので、理解が出来ない構図だった。きっとインスタにでも上げるのだろう。
でも向こうからしたら、1人で車を1日中走らせ、風景写真を撮ってはブログを書いている人間の方が、よっぽど理解できないのだろう。

時刻は14時に迫ろうかとしていた。
いよいよ空腹も限界を迎えつつあるので、三崎まで一気に走った。

三崎まで行けば何かしら食べられるだろうとは思っていたのだが、随分と立派な観光施設が出来ていた。

「はなはな」というらしい。
ちょうど良いのでここへ車を停め、中にある「しらす食堂はなはな」を目指した。

しかし、14時だというのに随分と席が埋まっていた。
諦めて一度は外に出たのだが、外から見たらテラス席があることを発見。
困った状況の中では、物事をいろいろな目で見るのが大事である。

テラスに着座し、釜揚げしらすと生しらすの2色丼を注文した。

目の前に広がる豊後水道は日本屈指のしらすの漁場とのことで、水揚げされたばかりの新鮮なしらすがいただける。
美しい海を眺めながら、とても美味しくいただいた。

すぐ横には、国道九四フェリーの港がある。

国道という名の通り、国道指定されている航路だ。

さて、そろそろ帰りのことを考える。
せっかくなので、未だに一度も乗ったことが無い国道九四フェリーで九州へ渡り、別府からフェリーさんふらわあで帰ることも選択肢だったのだが、祝日ということでさんふらわあは満席になっていた。昨晩は空いていたのだが、悩んで決断を先延ばしにしている間に埋まってしまったようだ。成敗は決断にあり、ってやつだ。

もう一つの選択肢は、愛媛県東予港からオレンジフェリーへと乗船して大阪まで帰る案。オレンジフェリーも未乗船かつ乗ってみたい航路だった。
こちらは昨晩見たときは空席があったので予約しようと見たら、Web予約は前日までらしい。とはいえ電話予約は出来るようだったので、電話で予約。割引は無いものの、無事に抑えることが出来た。何事も決断は早いほうが良いのかもしれない。

無事に今晩の宿を確保出来たので、いざ佐田岬灯台へ。

三崎までは快走2車線路だが、三崎から灯台までの道は一気に細くなる。
それに、分岐が数か所あるので、間違えないように。間違えても行けないことはないけど、無駄に狭い道を通る必要も無いのでね…。
それでも、ここもやはり以前よりも随分と走りやすくなった。

佐田岬駐車場に着いてからは徒歩。

駐車場から灯台までは遊歩道が整備されているが、アップダウンを2回ほど繰り返し、20-30分ほどかかる。
運動不足な身体にはなかなか良い運動になる。

ちなみにこの遊歩道も、かつて戦時中に後述の砲台に砲弾や物資を運搬するために整備された通路とのことだ。

以前残されていたキャンプ場跡にあったバンガローはすっかり解体されて更地になっていた。

このキャンプ場跡も以前の記事では要塞跡かな?と触れていたが、実際に左の洞は司令部や発電所として機能していたらしい。

かつて戦時中、佐田岬灯台は豊予海峡の防衛の要所だった。
佐田岬から九州までは直線で約14km、ここ佐田岬や、付近の沖ノ島、由良岬などにも砲台を設置し、豊予海峡を射程圏内としていたようだ。

探照灯格納庫

上の写真は移動式の探照灯の格納庫として使われていたもの。
かつてはこの道にレールも敷かれており、レールの付いた探照灯で不審船を見張っていたとのこと。

軽く息が上がりながら、椿山展望台へ上った。

陽はかたむき、逆光になっていた。

以前訪れた時からずいぶんと周辺の草木が伸びて、灯台の見晴らしが悪くなっており、以前のような写真は撮れなかった。
残念ではあるが、それもそうだ。8年近くも経ったのだから・・・

先ほど三崎港にいるときに出港した国道九四フェリー「涼かぜ」と入れ違いで、国道九四フェリー「遊なぎ」が三崎に向かっているのが見えた。

さて、灯台に向かおう。

「あれ?」

灯台の手前から、右側に向かう階段が出来ていた。
「御籠島(みかごじま)展望所」と書かれていたので、迷わず向かってみた。

正面にあるのが御籠島。手前は2010年まで使われていた養畜池で、以前は立入禁止だった。

御籠島は佐田岬灯台のすぐとなりにある小さな島だが、1967年に養畜池が整備され陸続きとなった。
そしてその御籠島に「佐田岬灯台点灯100周年記念」として、2017年に展望所が整備されたとのことだった。
このモニュメントも点灯100周年を記念したものだそうで、このアングルから佐田岬灯台を眺められるのはなかなか良い。

佐田岬灯台は1918年に初点灯を行っており、当時としては珍しいコンクリート造りの灯台だ。

椿山展望台からの眺望は少し残念だったが、その代わり新しい角度から眺めることが出来るようになった。

おまけに、灯台の左下にある2つの砲台跡もよく見ることが出来る。これらが第三砲台と呼ばれる砲台跡だ。
本土決戦に向けて1945年の終戦直前に完成したとのこと。結局使われることは無かったようだが。
同じように、佐田岬灯台の周辺には、合計12の砲台跡が残されている。

展望台から灯台の反対側を見ると、こちらにも砲台跡が2つあるが、こちらは第四砲台。
かつての御籠島は陸続きではなかったので、索道を使って物資を運搬していたそうだ。
ここも同じく2017年に整備されており、洞穴を通って中に入ることも出来るようだ。

決して寒くはないものの、風は強かった。
それでも夕日に照らされた灯台が美しくて、しばらく海風に晒されながら眺めていた。

御籠島にある第四砲台跡へは、当時つくられた洞穴を通って行くことができるようになっている。
もちろん当時の素掘りのままではなく、補強と安全対策がなされている。

戦後長らく放置されていた遺構が、こうして保存され見学出来るようになっているのは有用だと思う。

第四砲台跡には、当時使われていた弾砲のレプリカが設置されていた。

思っていたよりも小さいし、終戦直前ということもあって実際に効力のあるような弾砲ではなかったように思う。

それにしても、佐田岬灯台は綺麗に道路が整備された道を自動車で来ても結構な時間がかかる道のりである。
最初期では100年近く前にこれだけのものをつくり、ここで任務に就いていた人はどれだけ過酷な環境だったのだろう。

佐田岬灯台は戦争の悲しい時代を今に伝える、歴史の証人なのだ。

夕日に照らされた豊予海峡は、せわしなく船が行き交っていた。

御籠島を離れ、灯台へと向かった。

自分が惹かれた佐田岬の風景や雰囲気は、変わらずにそこにあった。

陽が傾き、少し気温が下がった。
今日も1日清々しい快晴に恵まれ、半袖で過ごせる暖かい気候だった。

橙色の木漏れ日が差し込む遊歩道を歩き、駐車場に戻ってきた。
夕日を見に訪れた車が何台かいた。
もうじき日没時刻を迎えるが、僕は日没を見届けずに車を走らせた。
時折眩しい夕日がルームミラーに映り込んだ。

三崎を過ぎて佐田岬メロディーラインに入る頃には辺りは薄暗くなり、R378夕やけこやけラインで海沿いに出た頃にはすっかり真っ暗だった。

ここからは一気に東予港を目指す。

伊予ICから高速に乗り、いよ小松ICまで松山自動車道でワープ。
20時前にオレンジフェリーの東予港に到着した。

手続きをして、いざ乗船。

オレンジフェリーの関西航路(東予港-大阪南港)では、出港は22:00なのだが20:00から乗船可能で、船内のレストランや大浴場も利用できる。
また、大阪南港への到着も6:00だが、事前に申し込めば8:00まで船内に滞在可能の有難いサービスがある。

船内は非常に綺麗で清潔感のあるインテリア。
現代のフェリーらしく利便性も高く、万人にとって文句なしに快適に過ごせるようになっている。

レストランにはオレンジフェリー名物、「鯛一郎クン」というブランド真鯛を使った宇和島鯛めしがある。

自分がオレンジフェリーに乗りたかった目的の一つのため、迷わず注文。
自慢の鯛は肉厚で食感もよく、臭みも一切ない。船内レストランとは思えぬほどハイレベル。

宇和島鯛めしと感動の再開を果たした後は大浴場へと浸かり、出た頃には出港の時間を迎えた。

風呂上がりにハーゲンダッツを食べて、就寝した。

結局のところ、自宅を出てから全日に渡って一切の雨どころか一切の曇りにも遭遇せず、過去最高に天気に恵まれたツーリングだった。
なるようになるさと、と旅に出たわけだが、お天道様がなんとかしてくれた。
そのおかげで、過去に惹かれた場所にも再訪できたし、見たかった風景も見られた。新しい発見もたくさんあった。

ありがとう四国・・・

「おれんじ おおさか」は定刻通り大阪南港へと入港し、僕はのんびりと身支度を整えデッキに出た。
今日も晴れているが、四国と違って騒がしい空気だ。

ギリギリの8時前までだらだらと滞在し、出発。
目の前のローソンで朝食を食べ、隣のガソリンスタンドで給油。
真っ直ぐに自宅へと向かう。

東名は東京に近づくに連れて渋滞し、首都高はさらに激しい渋滞で嫌気が差すが、特に何の感情も無かった。
夕方18時半頃、自宅に到着した。

6日間、2,268kmの旅路を終えた。

やっぱり四国は、僕にとっての原点だった。

(終)

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