大雪の北陸旅行 2日目

2日目。

予定通り朝3時半に起床し、4時に宿のフロントに集合。
そして夜中に一気に降り積もった雪道を、お坊さんに連れられ永平寺へ。

日常生活の中で朝4時といえば、空が明るくなり始めた頃で、まだまだ街は寝静まっている時間帯。
しかしながら、永平寺に着くとすでに明かりは灯されており、活気を感じます。
活気を感じると言っても、たくさんの修行僧がいるものの会話は皆無で、足音だけが響いている。

もちろん境内は多くの修行僧がいるため基本的には撮影禁止なのだが、一部は撮影を許可してくれた。

はじめは暖房も効いた講堂の中で、30分ほど法話を聞く。

そして境内の一番奥にある法堂へと移動し、朝課と呼ばれる朝のおつとめに参加。
参加すると言っても、我々には小さな椅子も用意され、合わせてお経を読み、参拝するといったところ。
しかし、床は木製で気温は一桁。そして修行僧は裸足…正直、靴下を履いていてもかなり足が冷えて厳しさを感じたのだが、いやいや考え難い。
時間にしたら40分くらいだろうか?これを毎日とは、恐れ入る。。。

その後は境内を簡単に案内してくれる。
写真は傘松閣(さんしょうかく)と呼ばれる広間で、天井にはそれぞれ異なる画家によって描かれているそうだ。

早朝の大本山永平寺。
もちろん大変静かで厳かなのだが、その一方で多くの修行僧が夜明け前からせわしなく活動しており、どこか活気というか活力にようなものも感じる独特の空間なのだ。

私自身、天台宗系の高校に通っていたこともあり、比叡山延暦寺の研修にも参加した。
共通点もあれば相違点もあるのだが、一つ言えることは、本当の雰囲気を感じたかったらこのような行事に参加するのが良いと思う。

およそ2時間の朝課を終え、宿へと戻る。
日が昇り、夜中に降り積もった雪の全貌が見えてきた。予報で聞いていた通りの大雪だった…。

昨日は路肩に少し雪がある程度だったのだが、朝になってご覧の通り。
これは道路も大変だろう。今日は伊根まで移動するのだが…。

何はともあれ、冷えた身体をきちんと暖めてから朝食。

朝からひと仕事(?)終えた後の朝食は美味しい。

さて、ここからは大移動を開始する。

まず、積もりに積もった車の雪を下ろし、永平寺を出発。
R364で南下を試みたのだが、かなりの積雪かつ除雪されていないことから峠越えを断念し、来た道を戻った。

除雪も間に合っておらず道路環境がかなり悪いことから、なるべく幹線道路を使ってまずは敦賀へ。

敦賀では「日本海さかな街」という市場?的な場所に立ち寄ったのだが、ここは最悪。
海産物の店はカニを売りつけてくるような呼び込みが激しく、まともに見せて選ばせる気もなくて極めて不快。
おまけに昼食を食べようかと思えば、多くの店はボッタクリのようでGoogle口コミ★1~2といった超低評価の嵐。

そういうわけですぐさま撤収し、向かいにある「海鮮アトム」というご当地回転寿司へ。
こちらは高い評価の通りで、地産のネタもあり大変満足。
やっぱり、ローカル回転寿司はちょうどよい選択肢なのかもしれない。

昼食を食べた後は、若狭まで一般道で移動して「福井県年縞博物館
どうせ外は大雪なので、屋内で楽しめる観光を、という考えだ。

ある意味、雪がここに導いてくれたのだが、これが大変に素晴らしい博物館だった。
実際に数多くの表彰や高評価を受けている博物館なのだから改めて言うことでもないのだが、想像以上に面白かった。

まず、そもそも私は「年縞(ねんこう)」というものがあまり聞き慣れない言葉だった。

「年縞」とは、湖底などの堆積物によってできた縞模様のことです。
縞模様は季節ごとに異なるものが堆積することにより形成されます。
春から秋にかけては土やプランクトンの死がいなどの有機物による暗い層が、晩秋から冬にかけては、湖水からでる鉄分や大陸からの黄砂などの粘土鉱物等によりできた明るい層が1年をかけ平均0.7mmの厚さで形成されます。

福井県里山里海湖研究所 – https://satoyama.pref.fukui.lg.jp/feature/varve

つまり、季節によって異なるものが湖の底に沈殿・堆積し、それが年月を重ねるに連れて縞模様のように見えるのだ。

そして下の写真。

これが展示されていた水月湖の年縞の一部をクローズアップした写真。
確かに、なんとなく縞模様になっているのがわかるだろう。

で、それがなんと水月湖には7万年分(!)以上も1年の欠けもなく、綺麗に残っているのだ!

これは世界最長の年縞とのことで、7万年分の年縞が時系列に沿ってガラスにおさまり一直線に展示されており、魅せ方としても美しい。

7万年というと、ホモ・サピエンスが世界各地へと生存の場を広げっていたのがその頃。
つまり、人類が活動の場を広げてから今に至るまで、まさに人類の歴史そのものがここに収まっているのだ。

さて、7万年分も綺麗に年縞が残っているのは素晴らしいが、これが何の役に立つのか?

世界標準のものさし 水月湖「年縞」

 世界中で発見された化石や遺物が、いつの時代のものかを知るには、過去の時間の長さを計る必要があります。その長さを計るものさしは、水月湖の年縞がその役割を果たしています。

 今から約5万年前までの年代を知る方法は、現在、世界中で広く用いられるのが「放射性炭素年代測定」という、生物の体に含まれ、時間の経過とともに一定のペースで量が減少する「放射性炭素」の残量を測定し、年代を逆算する方法です。

しかし、この方法で求めた年代は正確でなくてはありませんでした。誤差を較正するにはその年代の炭素14を正確に把握する必要があるため、世界中で研究が行われていました。

 水月湖年縞においても1991年から研究が進められていました。そして、その研究は2012年7月にパリのユネスコ本部で開催された第21回世界放射性炭素会議総会において水月湖年縞とその研究データが評価され、2013年9月に約5万年までの年代を特定する「世界標準のものさし」として認められました。水月湖年縞により年代測定の精度は従来の精度から飛躍的に高まり、考古学や地質学などさまざまな研究に貢献しています。

福井県里山里海湖研究所 – https://satoyama.pref.fukui.lg.jp/feature/varve

つまり、年縞を辿って調べることで、

  • 白っぽい層と黒っぽい層がセットで1年分なので、それを数えていけば何年頃の年縞かがわかる。
  • その年代の年縞を分析すれば、木の葉や花粉などから当時に生息していた植生から当時の気候や環境、火山灰からは火山活動、黄砂からは偏西風の向きの変化、堆積層からは洪水や地震の履歴など、様々な情報を得ることが出来る。
  • そして、各年縞に含まれる葉の放射性炭素の量を測定し、それを「ものさし」とすることで、世界各国で発掘された出土品の年代が正確に特定出来るようになった。

というわけです。 すごくないですか?

浪漫という陳腐な言葉で表現するのは研究者に申し訳ないとは思いつつも、シンプルにこんな世界があったのかと感動しました。

ところで、なぜ「水月湖」でそんなにも長年に渡って年縞が堆積したのか?

 7万年以上の歳月にわたり、乱れのない年縞が積み重なった水月湖には、地形や周辺環境における4つの条件がありました。

①流れ込む大きな河川のない地形
 水月湖には、直接流れ込む大きな河川がなく、三方湖で緩やかになった流れが静かに注がれるため、水の動きがほとんどありません。そのため、大雨による大量の水の流入がなく、湖面の水がかきまぜられず、堆積物が静かにたまっていくことができました。

②山々に囲まれた地形
 周囲が山に取り囲まれていたため、風が遮られ、波が起こりにくいことにより、湖水がかき混ぜられることがありません。

③生物のいない湖底
 水月湖は、水深が最大で34mと深く、湖水がかき混ぜられないため、湖底近くには酸素がありません。そのため、湖底に堆積物をかき乱す生物がいません。

④埋まらない湖
 通常、湖は堆積物が積もり続ければ、水深が浅くなっていきます。しかし、水月湖は、周辺の断層の影響で、長い間少しづつ沈降し続けています。そのため、水深が深いまま湖底に堆積物が溜まり続けています。

 このような、4つの条件が偶然に重なり、長い間年縞が形成されてきました。年縞は日本では8つの湖で確認されていますが、水月湖のように7万年もの連続性をもったものはありません。年縞形成におけるこのような条件が揃った湖は世界的にも珍しく、まさに「奇跡」の湖と言えます。

福井県里山里海湖研究所 – https://satoyama.pref.fukui.lg.jp/feature/varve

三方五湖の一つである水月湖が、偶然にも様々な条件が重なり、ここまで長い間、綺麗に年縞が積み重なっていったのだそうです。
「奇跡」と書いてありますが、本当に奇跡的です。

展示内容や展示方法は素晴らしく、予約をすれば学芸員の方が説明もしてくれるそうです。
雨や雪の日はもちろん、そうでない日でも一見の価値がある博物館です。高評価の理由がとてもよくわかりました。

<参考>
福井県里山里海湖研究所 – https://satoyama.pref.fukui.lg.jp/feature/varve
福井県年縞博物館 – http://varve-museum.pref.fukui.lg.jp/about
福井県公式観光サイト「ふくいドットコム」 – https://www.fuku-e.com/feature/detail_176.html

さて、素晴らしい博物館見学の後は伊根の舟屋の宿へと向かいます。

向かうのですが・・・

オレンジ色は渋滞ではなく、豪雪で速度が出せずこの状態…

まず、降雪が本格化し大雪状態。
敦賀から伊根までは舞鶴若狭自動車道を使うものの、除雪が全く追いつかず、道が積雪でデコボコ&スリッピーで、せいぜい40km/h程度の徐行運転・・・
さらに一部通行止めにもなり、ひたすら集中しながら運転を続け、無事に宿に着いた頃にはすっかり日が暮れていました。

舟屋の宿には夕食は付いていませんので、予約しておいた割烹へと徒歩で向かいます。

本日の夕食は「割烹 海宮(わだつみ)

こちらで戴くのは、もちろん寒ブリ!

大雪の代償というか、この季節のブリは脂がのっていて大変美味。
伊根は日本でも有数のブリの漁場であり、まさにこれを食べるために冬の伊根に来ると言っても過言ではないでしょう。

写真でも一部ですが、海宮さんのコース料理はまさにブリのフルコース。
これでもかというほど、最高のブリを使った料理が提供され、満腹を遥かに超えるボリューム。
大雪の中での移動は疲れましたが、最高の夕食をいただくことが出来ました!

そんなわけで、移動が多い日にもかかわらず大雪で大変ではありましたが、大変満足な1日でした。

(続く)

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